2012年4月19日木曜日

神幸祭も194年目 時を刻む

神幸祭も今年で194年ということです。

自分かかかわって何年目か・・・

自分がかかわってからの期間は短いかもしれませんが

それでも神幸祭の歴史に刻まれています。

私たちのかかわっているのは

北九州小倉南区曽根新田にある

綿都美神社の神幸祭です。

神幸祭というものは全国各地にあるようで

神様を祭る、もちろん神事

神様のところまで行く、神行という意味があるようです。

行きもあれば帰りもありますので

帰りは、還幸祭とも呼ばれるようですが

自分がかかわっている曽根新田の神幸祭では

その名前名聞いたことがないですね。

曽根新田に関して言えば

文化14年(1817年)に曽根新田を襲った台風高潮からの

復旧、神社造営・大祭式を執り行ったことに由来があるということです。

文政2年(1819年)にその大祭が行われ

それが第一回の神幸祭とされているようです。

なぜ、台風高潮に襲われたこの曽根新田に

神社造営、大祭挙行したのかというのは

もともと曽根新田が米の増産のために作られた地域であり

この曽根新田の農民たちから、台風・高潮の不安を取り除き

この地に安住させる目的があったということです。

実際に朽網東が神幸祭にかかわったのは

文政7年に祭りに関する諸出費が藩の負担から

津田手永の受けとなった時点からのようです。

ですから、東朽網の神幸の歴史は文政8年(1825年)からのようで

東朽網的には187年の歴史となるか??

まあどちらにしても自分のかかわった歴史はわずかですが

今までかかわってきた、継承されてきた多くの方々に

敬意を払いつつ、そして、伝統を守って行きたいと思う今日この頃です。

とりあえず、4月21日晴れることを祈りつつ・・・(-_-)zzz

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